いわゆる一身上の都合により、この4月末をもって東京を離れ故郷の熊本に帰ることになった。そして、この日が最後の日原詣でとなり、当初から行く場所は決まっていた。私が最も足を運び、最もカメラのシャッターを押した巨樹「風神のブナ」である。平日のせいもあり、奥多摩駅から日原鍾乳洞行きのバスの客は私一人の貸切であった。
午後から一時的に雨となる予想はあったが、曇天の空は意外と明るく気温も快適である。今日はただ、風神のブナを目指す。目的地に近づくにつれ、ブナの木は他の木々よりも早く小さな若葉を拡げていることが分かる。風神のブナもきっと同じだろうと思いながら歩を進めると、やや標高を上げたせいかまだ芽吹いたばかりであった。
このブナに逢いに来るのも最後か・・と思うと感慨もひとしおである。全ての季節どころか、一年全ての月にこのブナを訪れている。そこまで夢中になったのは、ひとえにこのブナの神懸ったオーラに触れてしまったからであろう。特に雪の積もる凍てつく冬の日は、圧倒されるほどの美しさを見せつけたものである。私が「風神のブナ」と名付けた理由はここにあった。
注意深く木の周りを回る。折れている枝はないか、枯れた枝は増えていないか。そんな樹木医のような目線を送りながら、様々な角度から撮影をする。(写真左) 撮影を一段落して、ブナを見ながらおにぎりを頬張る。そしてつくづく想うのは、私の東京での暮らしはこのブナにずっと励まされていたということである。このブナのように力強く、質素な美しさを持てる人になりたいと願い続けていたのかもしれない。
午後になると、傘がいらないほどの細かい雨が降り始めた。土砂降りになれば退散するつもりであったが、空を見ると暗雲は見当たらない。そのまま撮影を続けていると、その後は細かい雨が降ったり止んだりの天候だった。ふと足元を見ると、芽吹いたばかりの枝が落ちている。大方小動物が枝をかじって落したのだろう。せっかくだからブナの横枝に乗せ撮影する。(写真中)
かつて、このブナが発見された2000年当時の幹周りは4.10mであった。その17年後、再度計測を試みる。結果は4.16mということでまだ成長の過程にあることに安堵する。(写真右) さて、いよいよ別れの時である。「風神のブナ」に感謝の言葉を送り、またその長寿の祈りを込めて樹皮をやさしく摩った。本当は日原の森に訪ねた巨樹一本一本に、同じように別れを告げたい気分であった。 |