東京最後の聖域「にっぱら」
 巨樹・巨木
 
オロセ尾根のモミ1
 
幹周  4.20m      樹高  30m       標高  880m 
 
 
 日原川に沿って走る日原林道を、小川谷橋のバス停から2kmほど遡ると、孫惣谷との出会いの手前にオロセ橋があり、日原川を対岸に渡って孫惣谷林道へと続いている。このオロセ橋とは、その背後に迫るオロセ尾根から付けられた名前であるが、肝心の「オロセ」という不思議な言葉の意味はほとんど知られていないのではないだろうか。

 以前私は幸運にも、地元の古老に「オロセ」の名前の由来を教えていただいたことがあった。それによると、かつて集落から名栗沢や長沢谷の山葵田に行くには、現在の林道などはもちろんなかったので、タワ尾根を巻くように付けられた日原川左岸を通る道が使われていたそうである。その道はやがて孫惣谷と出合い、その谷を渡ってさらに日原川を遡ることになる。オロセ尾根はその孫惣谷を渡る手前にあり、集落から歩いてきて丁度一休みする場所であったらしい。そして、一休みするためには担いできた荷物を降ろす。つまり、荷物を「オロセ」ということから付けられた名前だそうである。

 オロセ尾根は、人工林の占める割合も少なくないが、残された自然林には巨樹・巨木の影が濃い場所でもある。このモミは現在、オロセ尾根では最大の針葉樹ということになっている。幹周の計測が1999年だったことを考えると、10年経った今は15~20cmほどは成長しているかもしれない。次回訪れた際には、再計測してこのページの数字も書き換えたいと思っている。

 ところで、このモミの根元には不思議なものがある。下の写真でご覧のように、青い大きな石が地表から突き出た状態になっていて、まるでこのモミの石碑のよおうな趣がある。石は平たく、高さは70cmほどはあろうか。一度、動くものだろうかと力を入れて揺すってみようとしたが、ビクともしなかった。このモミが成長する過程で、この青い石を掘り起こしてしまったのだろうか。いろいろと想像を掻き立てる、モミと石の関係である。

 
 撮影日

 上  1999年  6月23日

 下  1999年  6月23日


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