東京最後の聖域「にっぱら」
 巨樹・巨木
 
俊二さんのカツラ 
幹周  11.30m(株立ち)      樹高  28m       標高  1000m 
 
 
 私は、巨樹に人の名前を付けるのを好まない。人とは比べ物にならない巨樹の生命力を想うと、個人の名前を付けるには畏れ多いと思うからである。しかし、この日原で1,2を争うようなスケールの大きなカツラには、その発見者である大館俊二さんの名前を付けさせてもらった。俊二さんは地元日原の方で、2000年に行われた環境省の全国巨樹・巨木林調査において、多くの巨樹を発見して登録をされている。

 かつて、俊二さんは日原の山で狩猟をされていた。当然山々の地形を熟知されており、その目印として巨樹の存在もよくご存知であった。そして、私が森林館に出入りするようになった頃、奥様の孝子さんが職員をされていたこともあり、俊二さんとも親しくさせていただくようになった。まだまだ山に未熟な私にとって、まさに俊二さんは様々な知識を持ち合わせておられる師であった。未知の巨樹の在処も教えていただき、この先まだ一緒に山へ入る約束をしていたものである。

 ところが、その俊二さんは体調を崩され、山に入ることも出来なくなったしまった。私をあそこに連れて行きたいんだけど・・・と無念そうに仰っていたが、その想いは結局叶うことはなかった。その後俊二さんは、体調の急変であまりにも早く亡くなられてしまったのである。私が、このカツラを初めて訪れたのはその後のことになる。その場所だけは生前に教わっていたので、労せず辿りつくことができた。そして、まだ名前のなかったこのカツラに、笑顔の俊二さんの面影が重なって見えた。

 私の右の手首には、十年以上前の切り傷が残っている。山を歩いている時に尻餅をついて、その際運悪く尖った石に手首をぶつけた時のものである。静脈ではあったが、血管まで切れたようでなかなか血が止まらず、そのまま集落まで下山した。森林館に寄って帰りを告げると、そこには大館夫妻の姿があった。私の血だらけの手首を見て、お二人は傷の手当てをしてくださった。今もその傷痕を見ると、一見無愛想だが、心優しかった俊二さんの思い出が甦ってくる。

                                 2013年2月11日 一葉

 
 撮影日

 上  2005年  3月27日

 下  2005年  3月27日


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