東京最後の聖域「にっぱら」
 巨樹・巨木
 
両替場のブナ 
 
幹周  2.77m      樹高  23m       標高  1290m 
 
 
 奥多摩駅のある氷川から日原街道に入り、寺地、大沢、川乗、倉沢、そして日原と標高を上げて行くと、もしこの街道が災害などで寸断されたら、日原は陸の孤島になってしまうことがよくわかる。しかし、それは現代の車社会においてのことであり、それ以前の徒歩を交通手段とした時代には、山の中に走る道が住人にとっての生活道路であった。山を切り開いて作られた細々とした道ではあったが、氷川へ続く道も、秩父へと抜ける道も、当時の感覚では国道のようなものであっただろう。

 その日原と秩父を繋ぐ山道は、今も登山道として利用されているが、集落からヨコスズ尾根を登り上げて滝入りの峰を巻いた少し先に、両替場という山中とは思えない不思議な名前の場所がある。この両替場とは、倉沢谷と小川谷の分水嶺上の鞍部にあり、秩父側から来た人にとっては倉沢と日原の分岐点でもあった。それはかつて、山岳信仰の修験道が栄えし時代、その本宮とされた一石山大権現(日原鍾乳洞)や、倉沢大権現(倉沢鍾乳洞)に参詣する人のために設けられた、正真正銘の両替所だったのである。

 一石山大権現や倉沢大権現では、先達の持つ松明の明かりに照らされながら、参詣者達は唱名念仏して小銭をまきながら、来世の功徳を祈ったそうである。しかし昔の道中においては、小銭を多く持ち歩くことは困難であった。そこで、毎日一石山へ上がる賽銭の小銭の一部を回収して、持ってきては金・銀粒との両替をしていたようである。(注:引用文献 心の山なみ[権現の路] 高橋英雄著) 両替場のブナは、この歴史ある場所の道沿いにあり、恐らく両替の営業をしていた時代から生き続けているのだろう。

 修験道が隆盛を極めた時代に比べれば、通る人も随分と少なくなった山道ではあるが、それでも多くの登山者に利用されている現役の道でもある。樹形の美しいこのブナに見覚えのある方も多いことだろう。幹周が2.77mということで、厳密に言えば巨木にはまだ届かないが、その歴史的背景を想像すれば貴重な文化遺産のような存在ではないだろうか。昔の旅人から現代の登山者まで、その道中をずっと見守り続けてきた日原の象徴であろう。
 
 撮影日

 上  2015年  5月30日

 下  2009年  5月27日


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