天祖山の山名は古いものではない。修験道隆盛の江戸期には白岩山と呼ばれる山岳霊場であり、山頂直下には立岩という「権現」が存在した。しかし、明治期になり神仏分離令の発令とももに修験道は廃され、代わりに天学教という神道の霊山となってから天祖山と山名が変わったのである。とはいえ、八丁橋からの登山道の途中に大日神社があるが、大日とはもともと仏教(密教)の最高位の仏であり、神仏習合の修験道の名残りを今も残す遺産と言えるだろう。
このブナも含む孫惣ブナ群は、孫惣谷沿いの天祖山中腹に集中し、ここは日原で最もブナの生育に適した場所ではないかと思われる。4mを超えるブナの巨木が4本、3mを超えるものはあちこちに。「巨樹の里 日原」の中でも、特に保存すべき貴重な森であろう。しかし集落からのアクセスは悪く、天祖神社の参道とは大きく離れ、参詣者や登山者の影響でこの環境が壊される心配はないのかもしれない。
このブナは、他の孫惣ブナに比べて緩斜面にあり、その太い幹や枝にはボコボコとした無数のコブが見られる。さらにその幹にはツルマサキという植物が着生し、風格のある古木の趣を呈している。しかし、他の孫惣ブナとも共通しているのは、これほどの巨木でありながらほとんど目立った痛みが見られないことにある。そして、この森が最もブナの生育に適している、と私が考える理由はここにあるのだ。
山の山名は、時の権力者や時代の流れの中で移りゆくものである。白岩山と呼ばれた山が天祖山に変わったのも、徳川幕府の終焉と明治新政府の誕生という歴史を抜きにしては語れない。しかし、この数百年を生き延びるブナの巨木群には、どんなに時代が移り変わろうとこの環境こそが全てである。石灰岩の山として徐々に削り取られる山容を眺めながら、この森の行く末を暗じ神にも仏にも祈りたい気持ちになった。
2015年6月14日 一葉 |