まず最初にお断りをしておきたいのは、私は獅子舞に関して全くの素人である。獅子舞は目にしたことがあるという程度で、その歴史や芸の意図するものなども無知に等しく、今まで興味を抱いたことすらなかった。そんな私が下名栗の獅子舞に足を運んだのは、友人のsizukuさんのお誘いに乗ってみた・・・という、ほんの軽い気持ちからだった。
しかしこのsizukuさんは、五年前に下名栗の獅子舞を目にしてからというもの、その魅力にすっかり虜になってしまわれたたようで、毎年欠かさずこの伝統芸能を堪能されては、その都度写真とエッセイで綴られた熱いレポートをホームページ上にアップされていた。sizukuさんを知る方ならご存知であろうが、この方の「感性」には誰もが一目を置くような人である。私は、sizukuさんがこれほどまでに傾倒する下名栗の獅子舞とは、「一体何ぞや?」という好奇心もあって、例大祭の前日である「揃い」の日に下名栗を訪れてみることにした。
連日続く猛暑の晩夏、この日も秩父で最高気温が34.5℃にもなっていた。下名栗もほぼ同じか、あるいはそれ以上の暑さだったのかもしれない。獅子舞が「御宮参り」からそのまま「御幣懸り」に移行すると、私にはすぐにある懸念が頭をよぎった。熱中症である。今日の気温にこの獅子の動き、さらには顔を覆う水引のために普通の呼吸もままならないだろう。これはキツイ・・・、いや過酷ともいえる芸が目の前で繰り広げられていた。そして、それは「ささらっこ」と呼ばれる少女達も同じで、長時間の演技と演奏の大役を担っていた。大丈夫なのか・・・と私は少し心配になっていた。
しかしそこには、ささらっこの動きを逐一見守っておられる関係者の方々がいたのだ。私は全く気付かなかったが、演技の最中に一人のささらっこの様子にいち早く反応されて、その場に飛び出して行かれた男性がいた。ささらっこの少女はやはり消耗しており、それ以上の演技は無理だったようである。しかし、側の椅子でしばらく休んでいたら、また生気を取り戻して笑顔を見せていた。私は、この関係者の見極めに正直驚かされた。そして、こんなところにも長年培ってきた伝統芸能の凄みを見た思いがした。
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それにしても、獅子を演じられる役者の疲労度はいかばかりかと想う。その一連の動きやスピードから、相当な鍛錬をされていることは疑いようもないが、獅子の衣装に染み出した汗の量は半端ではなく、夏の盛りに行う祭りとは思えないような身のこなしである。そして、獅子の演技の合間を縫って、ここでも関係者の方々が役者を少しでもリフレッシュさせようと飛び出し、団扇で風を送り水分も補給されていた。それは演じた者にしか分からない、演者の苦闘を知る者でなければ示せない援護であったと思う。 |
そして「御幣懸り」の芝が終わり、獅子舞役者やささらっこが社務所に帰り着くと、その一人一人を関係者が取り囲み、獅子頭を取り外したり、ささらっこの顔を覆う幕をたくし上げたりする作業が、自然に素早く進められていた。それはつぎの芝への準備というよりは、大役を終えた役者やささらっこを、少しでも早く身軽にさせてやろうとする気遣いに違いなかった。私は獅子舞が何かを知る以前に、この下名栗の獅子舞における関係者の一連の結束力にすっかり感動してしまった。そしてsizukuさんの過去のレポートの内容が、はっきり理解できた瞬間でもあった。 |
それからというもの、私は獅子舞に限らず、最初は遠慮してレンズを向けられなかった人の表情にもシャッターを切っていた。本来は獅子舞の本質とは関係ないのだが、、演技の合間に見せる役者やささらっこの人間味を感じさせる瞬間が、とても興味深く魅力的であった。その中でも上の写真は、特に気に入った一枚である。この少女の瞳と口元には、強い意志が感じられる。白昼のうだるような暑さの中で、最後までささらを演じきろうとする決意のある美しい表情である。そして、あごの当て布を締める女性のキリリとした表情もまた、ささらっこに無言のエールを送っているような愛情を感じる。毎年繰り返される獅子舞の中で、それは至極当たり前のシーンなのかもしれない。しかし、初めてそれを見る私にとっては、ハッとするような驚きの連続だった。 |
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しかし、もちろん私が一番たくさんシャッターを切ったのは、獅子舞の演技である。私は普段、森の中で木々を中心に撮影することが多く、獅子舞のような動きのある被写体は初めてのことであった。当然のことながら被写体にレンズが着いていかず、ミスショットの連続である。スライド・ショーに掲載した写真も、ピントが外れていたり、うまく構図がまとめられなかったものも少なくない。長く写真を撮影している者として、そのような写真は恥ずかしい・・・というのが正直な気持ちではあった。
ただ、このスライド・ショーを作成するにあたり、当初は仲間内だけで楽しむ目的であったものが、下名栗の獅子舞に携わる方々にも楽しんでもらえないだろうか、という想いが芽生え、出来るだけたくさんの写真を芝ごとに掲載しようと考えた。ボケあり、ブレあり、ピント外れありのお粗末な写真集ではあるが、一つだけ私なりにこだわった部分がある。それは、このスライド・ショーを「木漏れ日の芝」というタイトルにしたように、獅子やささらっこ、笛方にスポットライトのように差し込む木漏れ日を、とくに意識して撮影を試みた。下名栗諏訪神社の境内で行われるこの獅子舞には、この木漏れ日がとても印象深く、またよく似合っていたと思う。
そして私が面白く想うのは、本来不変であるはずの獅子頭の表情が、役者の演技や光の当たり方によって様々に変化するということである。時に苦しげに、時に嬉しそうに、また時には色っぽく。それは写真で切り取る一瞬の世界かもしれないが、水引に隠された役者の表情を獅子頭は投影しているように思えた。私は写真の編集をしながら、すっかりその豊かな表情に魅せられてしまっていた。 |
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ところで、私が今まで見たことのある獅子舞に比べ、下名栗では笛方の人数の多さにいささか驚いた。そして、その強弱を交えた篠笛の音色が、長丁場の六芝全てで獅子舞の空気感を作り出しているように思えた。また私がとくに印象深かったのは、笛方の一人一人の真剣な眼差しである。獅子やささらっこは、演技の最中に顔を窺い知ることは出来ないが、笛方だけはその表情が丸見えである。しかし、全員が凛とした佇まいで奏でる篠笛の音色は、迫力すら感じさせる美しさがあった。余談になるが、私はこの後数日は頭の中で篠笛の音色が響き続けていたものだった。さらに、重いカメラとレンズで撮影を続けていたこともあり、首から肩にかけて筋肉痛にも悩まされてしまった。このスライド・ショーは、この日の獅子舞の記録であると同時に、どうやら私の奮闘の記録でもあったようだ。
2010年9月28日 一葉
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