奥武蔵 獅子舞の夏2008

絆の夏(3)

第六章、最後の芝
 

   いよいよ最後の芝、白刃が始まる。 

 
     獅子舞役者たちの身支度にも、心なしか緊張感が伝わってくるような気がする。

   この芝は獅子舞にはなくてはならない特別な芝で、この地方のどこの獅子舞でも演じられている演目でもあるが、
   触れば切れるような真剣を使って舞われているのは、ここ下名栗の獅子舞だけだそうだ。

   一昨年も、昨年も拝見させていただき、その迫力に手に汗を握って観賞させていただいたのだった。
   今年は雨のために室内での舞いになる、一体どうなることかと固唾を呑んで見守っていた。


 
 
          まず、庭場に見立てた社務所内を、獅子舞保存会の長老たちを先頭に回っていく。 

 

   太刀使いも獅子も、心を沈めて庭場に立った。
   これから始まる躍動の芝のなかで、唯一の静の場面だ。
   ギャラリーも一様に押し黙り、響き渡る篠笛の音色だけが、この空間を支配していた。


 
 

   やがて、太刀使いのはっきりとした『ハイ!』と言う声が響き渡り、それが合図となって最後の芝は動き出していく。
   芝を通して、太刀使いたちは、この小気味の良い『はい!』という掛け声を何度も掛け合う。 
   その声が、なんとも心地良いリズムを持って、観るものの心に響いてくる。
   篠笛の音色と共に、絶妙なテンポで、芝に効果的なメリハリをつけ、きびきびとした所作が魅力的だ。
   わたしは、最初に、この白羽の芝を見た時から心惹かれ、この掛け声が鮮明に脳裏に刻まれているのだった。


 

   両手を高く振りかざし、天を仰ぐ所作、この所作も何度も繰り返され印象深い動作だった。 
   何となく、高みにいる者への憧れや思慕を表現しているのではないかと連想させる。
   天にいる者とは、神々だろうか?…でも、わたしには、神に対する畏怖の念というより、
   懐かしい父母や、祖父母、そして、脈々とこの獅子舞を継承し続けてきた先人たちへの思慕の情のように
   思えるのだった。                       

   『歴代の獅子たちよ。わたしたちの舞を見守ってくれ。』と言っているような…そんな想いを深く感じるのだった。


 
 
     太刀使いと獅子は、絶妙の呼吸で、激しく狂いながらも流れるように舞っている。

 
 
     片手を獅子の前にかざして、見詰め合う。

 

   『ハイ!』という掛け声と一緒に手首を返す。この所作も呼吸を合わせるためのものだと思うが、
   何だか、太刀遣いは猛獣使いのようでもあり、また、獅子の表情が子犬のようで可愛らしくも見えた。
   庭場では、こんなに細かい所作までは気が付かなかったが、今日は室内のために思わぬ発見があって楽しい。


 
 

   独特の節回しの篠笛の音色に乗って太刀遣いたちは、足を高くあげ、腕を大きく振りながら勇壮に舞う。
   互いに掛け合う『ハイ!』『ハイ!』と言う掛け声が心地良く耳に響き、わくわくとした胸の高鳴りは絶好調に達する。


 
 
     二人の太刀遣いと2匹の獅子、ぴったりと呼吸の合った演技が素晴らしい。

 
     サカキ、半紙、手ぬぐい、と手に持つものを代えていき、いよいよ、太刀遣いは刀の鞘に手をかける。

 
     刀が欲しいと執拗に追いすがる獅子に『寄らば、切るぞ!』と威嚇している場面なのだそうだ。

 
 
     太刀遣いたちの、後ろ向きに飛び下がっていくジャンプは凄い!!

 
 
        そして、気迫のこもった掛け声ともろともに太刀遣いいはついに刀を抜いた。

 
 
            高々と太刀をかざす。

 
   振りかざした太刀が、蛍光灯の光を受けて、ギラリと光りを放つ。金獅子の顔がきらびやかに光る。
   黒獅子の顔もむき出しの歯や、目の周りに書かれた模様ががギラギラとなまめかしく輝き、その鋭さと妖しげな
   輝きがなんとも言えない緊迫感を盛り上げる。なんて素敵な臨場感溢れるシチュエーションなのだろう。


 
 
      刀を見て、さらに飛び跳ねる獅子たち。観ていてドキドキと心臓が高鳴った。

   真剣を操る太刀遣いたちの緊張感が、社務所のなかの独特の空気に共鳴して、見る者にもビンビンと伝わってくる。
   すでに太刀遣いたちの、着物は汗でびっしょりと濡れている。

   その太刀遣いたちに先導されるように、舞の中に雄獅子たちがさらに複雑に絡んでいく。
   ひと時たりとも気を許せる瞬間がない舞いだった。
   太刀遣いに追いすがる獅子は、その懐に飛び込んで、飛んだり跳ねたりする、独特の所作で踊り狂う。
   太刀遣いたちは、真剣を振りかざしたり、祓い流したりしながら勇壮に舞う。

   息が詰まるような気迫溢れる演技に、ギャラリーは誰一人として、太刀遣いと獅子舞役者たちから目を離す事なんて
   出来ないのだった。


 
 
     太刀使いの走るスピードに合わせ、獅子が追いすがる。

 
 
        獅子の頭上に刀を振りかざして飛び跳ねる太刀使いたち。

 
 

   次の瞬間、獅子は、その懐に飛び込んで、一緒に飛び跳ねながら舞う。
   太刀使いが、獅子の頭上で刀を返しながらはらうと、獅子頭の羽がはらりと飛び散る。


 
 
     足を払い、腕を払う、切っぱらいと言う所作。

 
 
     一歩間違えば、怪我をしかねない、大変危険な所作だそうだ。

 
 
   それを、このスピードでこなしていく、ぴったりと阿吽(あうん)の呼吸だ。どれほどの練習を重ねたのだろう。

 
 
     ずっと、頭上に太刀を掲げたままの姿勢で舞う太刀使いたち。

 
 
     終始、舞い続けるエネルギーは、物凄い気迫に満ちている。

 
 
    太刀使いの懐で、めいっぱい暴れ狂う獅子は、絶対の信頼関係で結ばれているのだろう。 

 
     この間中を、女獅子と、ささらっこはひたすら待ち続けている。こちらも大変な忍耐力を要する。

 
   外は雨のせいで、早、夕刻の闇に沈もうとしていた。きっと神社の周りの森は黒々と夜の帳の中だろう。
   ここ、社務所の中だけは、煌々と照らす明かりと人々の熱気できっとライブハウスの舞台のようだろうと思った。

   わたしの心は、いつの間にかこの場を抜け出して、遠くからこの全ての様子を眺めているような
   そんな気持ちになったのだった。


 
 

   太刀遣いが獅子の頭上で手首を返しながら刀を振ると、獅子の頭の羽が切れて飛ぶ。
   その度に会場からはため息と喝采のどよめきが沸き起こるのだった。


 
 

   じっとして動かないものを切るのならいざ知らず、飛んだり跳ねたり、走ったりとすばやい所作で動く獅子と、
   その獅子の動きに、合わせて動く太刀遣いとの息がぴったり合っていなければ、大変危険な所作になる。
   何しろ真剣で獅子の頭の羽を切るのだから…。


 
 
     着流しに、たすきをかけ、きりりと鉢巻を巻いた後姿が、とても美しいと感じる。

 
 

   やがて真剣は太刀遣いたちから獅子へと渡される場面へと変わった。

   そのわずかな時間に、裏方の人々が駆け寄り、獅子舞役者や太刀遣いたちに、水を振る舞い風を送る。
   激しい舞に緩んだ獅子頭を直したり、足元や袖口の紐を締めなおしたりと、きびきびとサポートに動き回る。

   そして、太刀はと見ると、裏方の人の手で、獅子が口にくわえる場所に半紙が巻かれているところだった。
   この半紙は、太刀遣いが「榊・半紙」の舞で使い、その後切っ先を持つために使っていた半紙なのだそうだ。


 
 

   この後の芝では、大太夫(金獅子)と小太夫(黒獅子)が、太刀を口にくわえて舞うのだ。
   獅子舞役者たちは自分たちの歯でがっしりとくわえて激しい舞を舞わなければならない。

   左右の重さのバランスが崩れると持ちこたえられないので、ちょうど中心の位置を見分けなければならないのだそうだ。
   後から保存会の会長さんからそんなお話を伺い、この時、慎重にバランスを確認しながら、刀の口にくわえる部分に
   半紙を巻いていた理由が分かったのだった。


 
 

   こうした一つ一つの動作を見る度に、裏方の獅子舞保存会の人々、全ての流れに気を配り指示を預かる進行役の
   方々など獅子舞に携わる多くの人々の手によって、この獅子舞が成り立っている事がよく分かる。
   名栗の人々の絆の深さに感じ入ったりした。


 
 
     やっと刀を手に入れて、刀をくわえながら、喜び勇んで庭場を駆け回る獅子たち。

 
 
     なんともリアルで、鬼気迫る形相。

 
 
        その迫力に、観客はみな、大きくどよめいたのだった。 

 

   刀をくわえたままで、背中合わせに体を大きく回す潜り合いという所作。
   これも、絶妙のタイミングで呼吸が合わなければ、非常に危険な所作だと言う。


 
 
     保存会の仲間も、長老たちも、みな真剣な表情で見守っている。

 
 
     観客たちも、息を詰め、固唾を呑んで見守っていた。

 
   太刀をくわえて舞う獅子役者たちの熱演は言うまでも無く、緊迫感溢れ最後まで見るものの心に感動を呼び覚ませて
   くれたのだった。

   やがて満を持して、花笠の間から飛び出した女獅子と共に、3匹の獅子は、ここぞとばかりに駆け回り踊り狂った。
   雨のため、広い庭場で舞えなかった鬱憤を晴らすかのように、獅子舞役者たちは、最後の力を振り絞って走りまわった。
   それは激しく、暴れ狂う本物の獅子のような舞だった。 


 

   さあ!待ってました!ささらっこの中から飛び出した女獅子は、まるで本物の獅子のように
   それは、激しく踊り狂う。その素早い動作は、目で追うだけでも大変だ。
   わたしの拙いカメラワークでは、もはや、追いきれない…これが、限界の映像だ。


 
 
     女獅子のこの躍動感は、最高に素敵だ♪ 

 
     そして、三匹の獅子が、入り乱れ、また、揃い踏みで舞い狂う姿はスカッとして楽しく心は高揚していった。

 
 
     これが最後の芝、これで、今年の獅子舞は全て終わる・・・ 

 
     悔いのないよう、思いっきり狂うんだ!獅子舞役者の心情が読み取れるような素晴らしいフィナーレだった。

   周りの人々の掛け声もどんどんと膨らみ大きくなっていき、歓声もまた最高潮に達し、最後の芝、白刃の演目は終わった。
   鳴り止まぬ拍手喝采の中、千秋楽のアナウンスがあり、みな社務所の中に集まった。


 
 
     最後の芝を舞い終えて、安堵の面持ちが、みんなの顔に広がっていく。

 
 
     太刀使いも獅子舞役者もささらっこも、笛方の人々も、保存会の人々も、みんなみんな… 

 
     とっても素敵でした。みなさん、本当に、いいお顔をしていました。
     感動をいっぱい、どうもありがとうございました。


 
   獅子舞保存会の会長さんが千秋楽の謡いを吟じ始めると、集まった人々がみんなで唱和した。   

          『 千秋楽にはたみをのべ~万歳楽には命をのべ

                    あい相生の松風   さつきの声ぞたのしむ

                                        さつきの声ぞたのしむ 』

   会長さんの謡いは、美しく朗々と響き渡り、人々の心に染み渡っていくような気がした。

   この地に生まれ、この地に生きて、やがて、この地に還って往った人々。
   そして、この地に嫁ぎ、あらたな命を慈しみ育てた人々。
   そんな先代達の魂もまた、ここに集っているのかもしれない。

   美しい名栗の里に集った温かな人々の絆の灯火は、いつまでも社務所の中に灯り続けていた。


 
 

   わたしは、溢れる感動を胸に、去りがたい面持ちで社務所を後にしようとした時、あの、赤ちゃんのお母さんが
   笑顔で会釈を送ってくれた。

   「楽しませていただきありがとうございました。赤ちゃんのお父さん、かっこ良かったですね!」と言うと、
   赤ちゃん尾お母さんは、にこやかに微笑んで、   『ありがとうございました。』とおっしゃった。
   ちょうど一緒にいらした赤ちゃんのおばあちゃまも、振り返り笑顔で会釈してくださった。

   何だかこんな小さな触れ合いが温かく心に灯るような気がした。
   わたしにも、この下名栗の人たちとの絆が持てるかも知れない…。そんな予感がとても嬉しかった。


 
 

   今年も心に残る素晴らしい獅子舞を見せていただいた。社務所に灯る灯りを見つめていると、
   しみじみと、祭りの後の余韻が、寂しさへと変わっていく。


 
 

   気が付くといつしか雨も止み、微かな虫の音も響きだした。この下名栗の獅子舞が終わると、夏も終わっていく気がする。
   わたしは覚めやらぬ感動を胸に、家路を急ぐ人々の中にいたのだった。


 
 

   灯りだした街灯に雨粒が光る。交通整理をしてくださっていたおじさんが、『どうだったかね?良かったかい?』
   と笑顔で声をかけてくれた。ここにも、頑張ってくれた人たちがいたことに、初めて気づいた。
   「とっても、素晴らしかったです!ありがとうございました。」雨の中をお疲れ様でしたと、頭が下がる思いがした。


 
 

今年も、名栗の獅子舞とともに、夏を見送った。


                                    2008.8.24 by sizuku 




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