奥武蔵  獅子舞の夏2007

感動をもう一度・・・(3)



獅子舞の影

 
    5、 白刃の舞・・・

    いよいよ最後の芝になった。演目は「白刃」という。
    悪魔祓いの祈願を込めた芝だといわれ、太刀遣いと獅子との緊迫の演技が見ものの芝だ。
    この芝の見所は、何といっても真剣を使って舞いながら獅子の頭の羽を切るという場面だろう。

    どこの獅子舞でも、最後の演目に欠かせないのがこの「白刃」という芝なのだそうだが、真剣を使って舞うのは
    おそらくこの下名栗の獅子舞だけではないかと思う。

    この太刀は、祭りが終わると磨ぎ師に出して、切れ味良く研ぎ澄まされているそうだ。
    この獅子舞の最後の芝でもありもっとも有名な芝とあって、ギャラリーの数も倍近くに膨れ上がって、
    最高の盛り上がりとなってきた。

    獅子舞の道行には、長老たちを先頭に笛方、ササラ、太刀遣い、獅子、獅子舞保存会の人や地域の人たちと続く。
    太刀遣いは鳥居をくぐる時に、そこに付けられていた榊の枝を折り取り、最初の舞ではこの榊と半紙を持って踊る。
    次に、手拭いと半紙、その次には手ぬぐいを両手に持って舞い、最後に太刀を手に演技をするのだ。


 
 

     最初に長老たちを先頭に庭場に入場だ。年長の方々がみなお元気な名栗の里だ。
     きっと目には見えなかったけれど、歴代の獅子舞役者たちも、この道行きに加わっていたに違いない。


 
 

     次に、この獅子舞のもうひとつの立役者でもある笛方の人たちが続く
     獅子やささらのように、庭場に上がる派手さはないが、舞台の袖で音楽を担当する大切な役割だ。
     ミュージカルに欠かす事の出来ないオーケストラのような存在感だと思う。
     下名栗の笛方は、その音色の美しさ、演奏の素晴らしさ、共にとても高い技術を持っている。


 
 
     最年少は小学6年生から。若い世代がたくさん育っているのは、とても頼もしい事だ。

 
     白刃を演じる役者は獅子舞を習い始めて8年以上のベテランの人々が演じる。
     獅子を始めたものは、まず、「花懸り」に始まり、「三拍子」 「棹懸り」 「御宮参り・御幣懸り」 
     「女獅子隠し」「白羽」の獅子を演じ、最後に「白刃」の太刀遣いを演じると、摺り上がりといい、
     一通りの演技の手習いを習得した事となるのだそうだ。


 
 
 
     昨年、白羽で、大太夫と小太夫を演じた、すらりと背の高い若者ふたりが、今年の太刀遣いだった。
     彼らはこの芝をもってベテランの獅子舞役者という事になるに違いない。

     昨年の緊迫感溢れる「白刃」の舞が、ありありと脳裏に浮かび上がった。まるで、体中の血が沸きあがる
     ような感動だった。あの時の感動を分けてくれた若者たちだ。そんな思い入れもあり、わたしは彼らの演技に
     釘付けになっていった。


 

     ホーイと呼ばれる道化役者たちが、おどけながら庭場を掃き清め、長老たちが席につくと
     庭場は緊張感に包まれて、一瞬水を打ったようにシーンと静まり返った。見守るたくさんの観客たちも
     身じろぎもしない。まるで幕が開く前のミュージカルの舞台のようだった。


 
 
     真剣な眼差しで見つめる長老たち

  
     時間は午後5時になろうとしていた。
     いつしか日は傾き、杉木立の境内に降るセミの声はヒグラシの声にと変わっていた。
     カナカナ、カナカナと物悲しい鳴き声が、晩夏の夕にふさわしくて、わたしは胸の奥がきゅんとなった。


 
 

     太刀遣いや獅子舞役者の母や妻だろうか、祈るように手を握り締めて見つめる人たちがいる。
     子供たちの眼差しも真剣そのものだ。地域の人々もギャラリーとして訪れた見知らぬ人々も誰もが固唾を呑んで
     みつめている。それほどの緊迫感がこの芝にはあるのだった。


 
 
 
     そして、静けさの中に、澄んだ篠笛の音色が、美しく淀みなく響きだした。
     獅子の打ち鳴らす太鼓の音と、太刀遣いの「ハイ!」「ハイ!」という掛け声が静寂を破り演技がはじまった。
     太刀遣いの流れるようなステップは、だんだんと勢いを増してゆく。


 
 
 
 
        最初は、太刀遣いは、鳥居から切り取った榊と半紙を手に持ち、獅子を囃すように踊る。
        太刀遣いの後を追って、獅子は狂うように舞いながら、両者は庭場を往復する。


 

     2番目には手ぬぐいと半紙を持ち、3番目には手ぬぐいを両手に持って同じ所作を舞う。

 
 

     スピード感溢れる演技に、観客はみな、目で追い続けている。

 
 
 
     いよいよ、真剣を使っての演技になる。太刀遣いは、きりりと鉢巻を巻き、たすき掛けをする。
     演じる者も、サポートする者も、真剣な眼差しで準備する。


 

      ここで、太刀遣いは、刀を抜くまねをしながら獅子に刀を見せびらかす「こじり」と言う所作に入る。
      その後に刀を抜く所作に続くので、庭場には清めの為の塩が撒かれる。


 
 

      太刀遣いたちは、声を揃えて、「ハイ」 「ハイ」と掛け声をかけながら舞う。
      このテンポが絶妙で歯切れが良くて、観る者をぐいぐいと引き付けていく。


 
 
 
 
 
 

      「刀が欲しい、刀が欲しい」と、執拗に太刀遣いに追いすがる獅子と、刀の鞘に手を当てて抜くまねをする
      太刀遣い。庭場を何度も往復しながら駆け回る。スピード感溢れる演技にカメラが追いつかない。


 
 
     観客は、いつを太刀を抜くかと固唾を呑んで見守る。いよいよ、刀が抜かれそうだ。

 
 
      ついに、刀が抜かれた。「おおー!」観客たちはいっせいにどよめいた。

      この場面は、エコツアーでいただいた下名栗獅子舞保存会の冊子に素晴らしい解説が載っていたので
      以下に抜粋させていただいた。


      ****いままで、つかず離れず舞っていた獅子と太刀使いが遠く離れ、太刀遣いは、『ハー』と言いながら
      太刀を抜き『臨兵闘者皆陣列在前』と九字を切りながら切っ先を低く獅子に向け、高く振りかぶります。

      その懐へ獅子は飛び込み、太刀遣いは獅子の頭上で太刀をひるがえしながら往復します。太刀遣いは
      片手で太刀を自由に扱い、大きく優雅に舞います。太刀を返して使う時、獅子の羽が切れ舞い落ちます。****


 
 
 
 
         名場面なのだけれど、カメラを持つ手が震えて上手く写せない。
         ブレブレだけれど、躍動感は伝わるだろうか?


 
 
 
        獅子の頭上で太刀を払うと、何度も頭上の羽が切れて飛ぶ。その度に観客はどよめき、最高潮に達した。

 
 
 
      ****この所作は「手・足・切っ払い」と言って、太刀遣いは自らの腕に当てて一往復、足に当てて一往復、
         そして最も危険な「切っ払い」で二往復します。
         「切っ払い」は、上手から下手へと接近して舞う獅子との間を太刀ですくいあげて高く見せびらかし、
         下手から上手へは、追い返しといって、文字通り獅子を追い返します。****獅子舞保存会冊子より抜粋


 
 
 
         「切っ払い」と言われる所作。獅子と太刀遣いとの息がぴったりと合っている。

 
     太刀遣いは、半紙で刀の切っ先を持ち、獅子の頭上を二往復させる「くぐりあい」を行う。

 
      最後の「くぐりあい」と言う所作の後、獅子は念願の太刀を貰う。

 
 

    ****念願の太刀を貰った獅子は、水引の上から、獅子舞役者自らの歯で、半紙を撒いた太刀の抜き身をくわえ
       喜びを体いっぱいに表しながら小太夫と大太夫が連れ立って庭場を斜めに横切ります。

       庭場の上と下の位置で獅子同士が背中を合わせ、伸び上がりながら向かい合い、うなずき合う所作は、
       「半くぐり」 「本くぐり」 といい、最も危険な場面です。****獅子舞保存会冊子より抜粋


 
     辺りはすっかり暗くなり、あちらこちらで焚かれるフラッシュの灯りが眩しく輝いた。
     わたしも、フラッシュを焚いたが上手く写せない。


 
       ボケボケだけど、自分では一番のお気に入りかな。(*^_^*)

    この後、獅子は太刀遣いに太刀を返し、花の中から満を持した女獅子が飛び出し、3匹で開放感に浸りながら
    晴れ晴れと、激しく舞う。これが最後とばかり、舞い狂う姿は躍動感に溢れ、そのスピードには、もう、カメラで
    追うことは出来なかった。わたしは、カメラを離し、目と耳と、心にしっかりとその場面を焼き付ける事にした。

    周りで、サポートに当たりながら見つめていた獅子舞役者たちも、大きな声で掛け声をかける。
    観客たちも大きな歓声の中にいた。笛方たちは、力強い節回しで高らかに篠笛を吹き続ける。
    演じる者も、観る者も、全てがひとつになって、獅子舞は終わったのだった。

    見事に演じきった獅子舞役者は、獅子頭を脱いで、上気した顔で笑っている。
    無事やり遂げた安堵感に包まれているのだろう。凛々しく美しい笑顔だった。


 
   6、 千秋楽、晩夏の月影に・・・

 
    舞が終わった後の道行きは晴れ晴れと社務所へと戻り、そのまま千秋楽へとなる。

 
   境内には、地元の長老といわれるような年配の方たちを先頭に、次には、年長の獅子舞役者たち、
   若い獅子舞役者たち、ささら、笛方、裏方の人たちと、獅子舞に関わった人々が順番に並び一堂に会した。
   そして、一番先頭の年配の方たちを中心に独特の節回しの謡が歌われたのだった。
   わたしは感慨深くこの獅子舞の一部始終を思い起こしていた。

   昨年、白羽の獅子役を必死に演じていた若者が、今年は、獅子舞のベテラン役者が舞うという太刀遣いの役を
   緊迫感を持った素晴らしい演技で、見事に演じきっている姿に深く感動した。

   今年初めて獅子舞役者となった若者も、先輩獅子たちの暖かい祝福を受け、照れながらも一段と逞しい面立ちに
   なっていた。そんな息子たちを、誇らしげに、嬉しそうに見守る父と母の笑顔。
   獅子舞役者のお父さんに駆け寄った幼い子供たちの輝く瞳は、宝物だと思う。

   そして、長老と呼ばれる方々が、皆さんお元気で威厳を持っていらっしゃる事がとても素晴らしいことだと思った。


 
 

   庭場に立ち通した、幼いささらっこたち。彼女たちの頑張りは、あのすりざさらの音色と共に人々の心に
   刻まれた事だろう。サポートに駆け回わり、つつがない祭りの進行と演じ手の人たちへの気配りに徹した
   裏方の人たちの汗と笑顔が輝いていた。

   譜面の無いメロディを習得し、心をひとつにして奏でていた笛方の人たちの姿もまた心に残る。
   全ての芝の間、その芝を盛り上げるように、花を添えるように心を込めて吹き続けるという事は
   どんなにか大変だろうか。

   村の長老たちが、篠笛の吹き方を教えたKさんたちが先生となり、あらたな若者や子供たちを導いていく。 
   老若男女全ての方たちが心を合わせて奏でる篠笛の音色はどこまでも澄み渡り、往く夏の寂寞と密やかな
   初秋の気配を乗せた風のように流れて人々の心に届いたことだろう。

   下名栗の獅子舞は、この祭りを心から愛する素晴らしい後継者たちが、ずっと引き継いで行ってくれる事だろうと思う。


 
 

    今年は違った角度で深く獅子舞を知る事ができた。
    感動の千秋楽が終わり、笑顔のうちにお礼を交わし、人々は家路に付いていった。

    下名栗の人々は社務所に集まり、きっと今夜は夜が更けるまで、美酒を酌み交わすことだろう。
    ほろ酔いになった獅子舞役者さんたちの顔が目に浮かぶ気がした。


 
 

   わたしは、もう一度、先ほどまで熱い演技が繰り返された境内を振り返った。
   杉木立の奥に諏訪神社の拝殿がオレンジ色に輝いて見えた。何となく、歴代の獅子たちがその庭で
   舞っているような気がした。

   そして草むらから響きだした虫の音が、哀愁のこもった篠笛の音のように聞こえてくるのだった。
   祭りの後は、どこか寂しい…往く夏の匂いがした。

   夜空には煌々と照る月がやさしく、名栗の郷を見下ろしていた。


 
 

    最後に、下名栗獅子舞保存会の皆さん、エコツアーの案内役のみなさん、大変お世話になりました。
    素敵な時間を、感動の一日を、過ごさせていただき本当にありがとうございました。
    下名栗の獅子舞の一フアンとして、この獅子舞が末永く後世へ伝承されていく事を願って止みません。

    なお、文中で、獅子舞保存会冊子 から獅子舞の芝の内容について、参考にさせていただきました。
    また、白刃の解説では、一部引用させていただきましたことをご了承ください。

                                    2007.8.26 by sizuku
 



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