奥武蔵  獅子舞の夏

夏の終わりに・・・ 
 

下名栗の獅子舞の絵

    1、 遠い思い出…

   『入曽の獅子舞は勇壮なんだ。お父さんは笛方をしていたんだよ。毎晩、練習したものだよ。』
   そんな話しを聞かせてくれた父の言葉をふと思い出した。

      ぴかぁひゃろ ひやぁろほし ぴかぁひゃろひやぁひゃ…

   父は不思議な節回しの歌というより謡いと言う感じの歌を聞かせてくれた。
   「おとうさん、それなあに?」 幾つぐらいだろうか、まだ、幼いわたしが聞いている。

   『これかい。これは、獅子舞の笛の節回しなんだよ。ドレミじゃなくって、篠笛はぴかひゃぁろで覚えるんだよ』
   「ふ~ん。。。」
   確かこんな会話をした事を覚えている。
   『一度、獅子舞を見せてやろうな…』 優しくそう言われた気がする。

   ある年のお正月だったろうか?記憶は定かでないけれど、父は、わたしと弟をふるさとの獅子舞に連れて
   行ってくれたのだった。
   ガタゴトと走るバスに揺られていた事、田舎のバス停に降りた事、桑畑や茶畑が続く畑中の野道を辿り、
   こんもりとした森影の、杉木立に囲まれた神社の境内に行った事。
   村の人たちが円陣を囲んで見物していた事、赤と黒と金色のお獅子が、太鼓を打ち鳴らしながら舞っていた事。
   そして、父が口づさんでいたあの節回しの笛の音が流れていた事ぐらいしか覚えていない
 

 

   うっそうとした杉木立に囲まれた境内で獅子舞は始まった。 




     早朝の諏訪神社で・・・少女の仕草に遠い日の自分が重なる。


   子どもだったわたしも弟も退屈してしまって、露天のおもちゃや綿飴ばかりが気になっていたと思う。
   せっかく連れて行ってくれた父は、きっとゆっくり時間をかけて獅子舞を見ることは出来なかっただろう…
   父が懐かしそうに獅子舞を眺めていたのかすら覚えてはいないのだった。
   それなのに、今頃になって獅子舞を見てみたいと思うようになった。

   父が連れて行ってくれたのはどこの神社だったのかも分からない。
   今はもう、空の上に行ってしまった父母に聞く術も無い。
   けれど今は、インターネットという便利な検索システムがある。“獅子舞”のキーワードで検索すると、
   いくつもの情報がヒットした。驚いた事に、奥武蔵と奥多摩は獅子舞の宝庫だったのだ。

   年間を通じて各地で獅子舞の神事がとりおこなわれているのだ。獅子舞は民間の間で脈々と継承され続けて
   来たのだった。祭りの期間も新年から始まり、春祭り、夏祭り、秋祭りと場所によって違っていた。
   父が連れて行ってくれた獅子舞の場所は残念ながら見つけられなかったけれど、わたしの自宅に近い場所で
   八月最後の土日に、獅子舞があることが分かった。とにかく、行ってみることにした。

 

      鳥居を挟んで赤い屋根が社務所、白い蔵には獅子舞の道具がしまわれている


   八月最後の日曜日、わたしは、名栗へと向かった。
   幼い頃、川遊びに家族で出かけた場所だったから、大体の土地勘があったので、迷う事無く飯能駅からの
   バスに乗り込んだ。やがてバスは街中を抜けて、名栗川沿いに走っていくようになると、緑の眩しい道になる。

   昔は、砂利道を土煙をあげて、ボンネットバスが走っていた。バスには車掌さんが乗っていて、大きな黒い革の
   カバンをぶら下げていて、行き先を言うと小さな紙の切符にはさみを入れてくれた。
   車掌さんは揺れるバスの中でもバランスよく立っていて、軽やかに歩いていけるのが凄いなぁと子供心に思った
   ものだった。
   
   そして、バスに乗ると真っ先に、わたしと弟は、いつも一番後ろの一段高くなっている座席に座った。
   凸凹の砂利道でバスが跳ね上がると、体重の軽いわたしたちは天井にぶつかるくらい跳ね上がるのだった。
   それが楽しくって、笑い転げていた事など思い出しながら、わたしは一番後ろの席に座って車窓を眺めた。
   今は、アスファルトの道路だから跳ね上がったりしないけど、車窓の景色は懐かしい佇まいを見せていた。


 
 
  朝からの霧雨模様、田の縁に咲いたタカサゴユリに雨の雫が光っていた。夏の終わりだった。


   2、 笛の音を聴いて

    バスを降りて橋を渡り川向こうにある下名栗の諏訪神社に向かった。こんもりした森影が見えた時、
   突然、遠くから流れる獅子舞の笛の音が耳に届いた。ああ、この音色…
   わたしは、一瞬のうちに懐かしい思い出がフラッシュバックした。
   子どもの時に、父と聴いたその音色そのものだったのだ。

   ぴかぁひゃろ ひやぁろほし ぴかぁひゃろひやぁひゃ…
   
   わたしは急いでいた足を止めた。目を閉じたら遠い遠いあの頃に戻れそうな気がした…
   そして、わたしのそばに、父が立っているような気がした…
   「ああ、おとうさん。。。」わたしは、こころのなかで呟いた。

   胸が何かにつかまれたようにキュンとなって、たちまち目頭が熱くなってしまった。
   思いがけず、急に涙が溢れてきて目の前が滲んで何も見えなくなった。
   子供の頃のあの日に聞いて以来、今まで一度も聞くことが無かったのに、鮮やかに蘇る音色に
   音に対する人の記憶の不思議さを思った。

   そして神社の鳥居をくぐった途端、今度は懐かしい光景が目に飛び込んできた。
   子供の頃の記憶は曖昧だったはずなのに、今目にしている光景は、あの時の光景そのものの
   ような気がした。
   まっすぐに天に向かって伸びた杉の巨木に囲まれた境内は、遠い記憶を呼び覚ましてくれたのだった。

   「お父さんが連れてきてくれたのね。ねっ、そうでしょう?」と、心の中で問いかけてまた胸が詰まった。
   ほんとうに涙もろいわたしだった


 
 
        国家安泰。五穀豊穰、氏子繁栄を祈るという『三拍子』の舞


   道路には延々と車が止められていて、杉の巨木に囲まれた境内はぐるりと観客が取り囲んで賑わっていたが
   混み合うというほどではなく、ほとんどが地域の人たちのようで、長閑な村祭りの雰囲気がなんとも懐かしく、
   まるでタイムマシンで時代をトリップして昭和初期に戻ったような気がするのだった。

   そして、見知らぬ旅人のわたしは、いつのまにかその輪の中に溶け込んで、風景の一部分になれた気がした。
   この村の人たちは優しい人たちなんだなぁと思え、その暖かさに心が和んだのだった。


 

      獅子舞を見物する人々。長閑な村祭りの風情に心和む。


     3、 獅子舞の演目

      *************(名栗観光協会のHPより、抜粋)*************

     この獅子舞は、青梅市成木の高水山から伝わりました。
     文化年間(19世紀初め)に習い始め、天保14年(1843)に正式に伝授されています。
     以来戦時中も含めて、休むことなく継承されてきました。
     昭和41年(1966)名栗村文化財の第1号に指定され、同62年(1987)には埼玉県指定の
     無形民俗文化財になりました。

     獅子舞の担い手は保存会を組織し、年間を通じで稽古に励んでいます。会員は100名超えます。
     小学2年生から80代まで幅広い年齢層が一堂に会し、新たな来住者や女性の積極的な参加もあり、
     地域にとってかけがいのない集団となっています。


     このように、観光協会のHPに掲載されているように、獅子舞は、とても古くて歴史のある郷土芸能であり、
     民間の人々によって脈々と受け継がれてきたのだと思う。一口に600年と言っても先代たちの計り知れな
     い努力や強い郷土愛に守られてきたのだと思うし、今もこうして変わらずに演じられているのは素晴らしい
     事だと感じた。

     下名栗の獅子舞は長大な舞が多いそうだが、その舞には、ひとつひとつ物語があり、解説の人の説明を
     聞いているとよりいっそうおもしろく観る事ができる。また、どの舞も躍動感とスピード感があり勇壮で
     見ているものの心を躍らせてくれる。
     笛の音、太鼓の音、杉木立の境内、獅子舞の衣装の色合い、ささらと呼ばれる花笠を被り顔を隠した
     少女達がかき鳴らす不思議な楽器の音色、そういった全てのものが、体の奥に眠っている何かを
     呼び覚ますような気がして引き込まれた。

     演目は御宮参り/ 御弊懸り/花懸り/三拍子/棹懸り/女獅子隠し/白刃からなるそうだ。
     わたしは、三拍子、女獅子隠し、白刃を見る事が出来た。
     
     (ここからは、下手な写真ですが、雰囲気だけでもと思いたくさんアップしましたので、
     ざっとご覧くださいネ)




     演目【三拍子】 

     国家安泰、五穀豊穣、氏子繁栄を祈る舞です。3匹の獅子が楽しく遊び、疲れて眠りますが、
     再び元気よく遊びます。
     この芝は、獅子がバチを打ち鳴らす、ササラが重要な役割を演じる、謡と謡との間に特徴ある
     所作があるなど、他の芝とはずいぶん異なった構成になっています。3匹の獅子は常に同じ
     動きをするため、いつも呼吸をあわせることが大切な舞です。ササラは上級者が演じます。
     (名栗観光協会のHPより、抜粋)

     独特のリズムで太鼓を打ち鳴らしながら踊る獅子の舞がだんだん激しくなったり緩やかになったりする。
     三匹の獅子の一糸乱れぬ息の合った動きが見事だった。
     踊っている舞い手はベテランで今年還暦を迎える方もいると紹介されていたが、とても力強く
     躍動感溢れる演技に魅了された。


 
 


 

           確か、この金色の獅子が、還暦の方だと思う。               


     40分近いひとつの演目が終わり獅子が社務所に戻ると、こうしてサポートの人たちがいっせいに駆け寄り
     お世話をする。獅子頭や花笠を受け取る人、大きなウチワで扇ぐ人、汗に濡れた衣装をすぐさま洗濯する人
     その連係プレイは実に速やかで見事なものだった。

     先ほどの、還暦を迎えたという方が獅子頭を脱いだ。上気した顔がとても若々しくつややかないいお顔を
     していた。駆け寄った娘さんやお孫さんたちや家族の人たちに囲まれて、晴れ晴れとした笑顔で談笑していた。
     とっても仄々としたいて心温まる光景だった。

     それにしても若者から、年配の人まで、生き生きとしているのが魅力的だった



 
 

     きびきびと動くサポート隊の裏方さんたち。そろいのTシャツがかっこいいね。

    
 

         いっせいに干された、獅子の抜け殻…(笑)

 
 

       社務所でくつろぐ人々。とっても長閑な村祭りの雰囲気だった。

   
 

        井戸端に干された獅子舞の手ぬぐいが、いい感じ!

     お昼の休憩を挟んで、午後の部は、“女獅子隠し”と“白刃”の演目があるという。
     “女獅子隠し”は、2時間の長丁場を舞い、“白刃”にいたっては真剣を使って舞われるという。
     どんな感じになるのかぜひ観たいと思った。わたしは昼食を取りながら少し周りを散策してみることにした。

     この、諏訪神社のすぐそばに大松閣という、老舗の旅館がある。ここには、外にお食事どころもあるので
     そこでお昼を食べる事にした。ずっと以前、母のお誕生日のお祝いをするためにこの旅館を訪れた事が
     あった。屋上に展望風呂があり、食事の後、母と水入らずで温泉に浸かった事があった事を思い出した。

     透明でとても綺麗な温泉で、母がとても気に入ってくれた。
     『ああ、のんびりできて、ほんとうにいいところだね。こんなに近くにこんないいところがあるなんてね。
      食事もおいしかったし、今日は本当にありがとう。』と、とても嬉しそうに言ってくれた。

     「おかあさん、そんなに気に入ったの?じゃ、また、みんなで来ようね。」と、そう言ったけど、その後、
     連れて行ってあげる機会がなく、あの時、一度きりで終わってしまった。
     あんなに喜んでいたのだから、もっと、何回も連れていってあげれば良かったのにと思う。

     そんな事を思い出し、急に、あの温泉に入ってみたくなり、わたしは、ロビーに向かった。
     とても落ち着いた雰囲気のロビーだったが、そこに飾られた1枚の大きな絵を見て、あっと息を呑んでしまった。
     何とそこには、勇壮な三匹の獅子の姿が描かれていたのだ。何てタイムリーなのだろう。。。
     思いもかけない絵と出逢って、しばらくその絵の前で佇んでいた。めぐり合わせの妙にドキドキしながら…
 


 

  ホテルのロビーには、素敵な調度品が置いてあり、それらを観ているうちに突然獅子舞の絵を見つけた。

      
 

     雨上がりの庭先には、雫を溜めたギボシの花が、往く夏を教えてくれた。 

 
     フロントでタオルを借りて、エレベーターに乗り最上階にある大展望風呂へと向かった。
     総ガラス張りで、湯舟に浸かりながら周りの山の緑が手に取るように見えるし、外には露天風呂もある。
     とても気持ちの良いお風呂だった。

     わたしは、のんびりと手足を伸ばしながら、亡き母の事を思っていた。あんなに喜んでくれたのにな。。。
     できることなら、もう一度、時を戻して連れてきてあげたい。そう思ったら胸がいっぱいになった。

     ぼんやり窓の外の景色を眺めていたら、ここを訪れた晩秋の一日の事が走馬灯のように浮かんだ。
     幼い孫達の仕草に目を細めながら、寄り添うように散歩していた、遠い日の父母の姿が浮かんだ気がした。


 
 

            少し小高い場所から見た名栗の風景

 

    とても静かな山間のレストラン

 

     演目【女獅子隠し】

     この獅子舞の中で、個人技が最も発揮される芝です。
     男女の恋の葛藤を描く、繊細かつ優美な舞をお楽しみください。女獅子に対する雄の獅子の優しく
     かつ執拗な誘い。雄の獅子を演ずるものは本気で女性を誘惑するつもりで舞います。
     恋人に未練を残しつつ、次第に新たな恋にひかれて誘い出される女獅子の演技は、上級者が演ずると
     見る者の涙をさそいます。また、チラシの笛は、甘美な節を繰り返します。
     2時間を要し、獅子にとってはもちろんササラにとっても、体力と精神力が要求されます。
                                 
(名栗観光協会のHPより、抜粋) 

     14:35から16:35まで、丸2時間、三匹の獅子が恋の物語を演じる。
     前半の静かなゆったりモードから、後半は激しい舞に踊り狂う。とくに女獅子役の踊り手は、最後の
     クライマックスには、まるで猿のごとく飛び跳ね、走り、神社の階段を駆け上がる。
     その気迫とスピード感にもうびっくり、胸がすくようなパフォーマンスだった。

 

    ささらという役を演じる少女達も体力が要るので、中学生が演じる。
 
 

    金色の雄獅子(太夫/たゆう)が女獅子を、誘い出そうとしているところ。
 
 

    ねぇ、一緒に行こうよと言ってるみたいで、なんだかかわいい(笑)
 
 

      やっと、女獅子が心を動かされていく…
 
 
      
 
 
 


      女獅子役の踊り手は飛んだり跳ねたりしながら激しく踊り狂う
 
 
 
 
 
 
 


       太夫と女獅子は、頭を激しく振りながら踊り狂い、喜びを表現している
 


   今まで眠っていた雄獅子(小太夫/こだゆう)は、目を覚まし、女獅子が居ない事に気付き慌てて探し回る       
 
 
 
 
 


  女獅子を探し出した小太夫は、戻ってきた女獅子と喜んで舞い踊る。という、そんなストーリー(*^_^*)  
 
 
 

   竿にかけられた手ぬぐいのお獅子が、なんとなくユーモラスにこちらを見ていた。

 
 
 
     縁日の露店を覗き込む少女たち。かわいいなぁと思ってパチリ(*^_^*)

 

      こんなのぼりって、懐かしい。最近は見たことなかったから、凄く懐かしかった。
      無邪気に遊ぶ少年達、彼らも、次代の獅子舞いの担い手になるのだろう。
      それにしても、この下名栗の獅子舞は、半端じゃなく凄い。
      通りすがりの旅人のわたしですら、こんなにも惹きつけられてしまう。

      本当に、年配の方から、若者まで、真剣勝負で演じている感じなのが伝わってくる。
      父や祖父や兄たちの、真剣な姿を見ることができて、ここの子供達は幸せだなぁと思う。


 
 

     無邪気な少年達の姿、一昔前の子供達の姿を見ているような気がする。




     演目【白羽】

  悪魔払いの祈願をこめた芝です。2人の太刀遣いが登場し、真剣を使って舞いながら獅子の頭についた羽を
  切る場面のある、この獅子舞で最も有名な芝です。
  獅子が「刀がほしい、刀がほしい」と太刀遣いにせがみますが、太刀遣いは見せびらかすだけでいっこうに
  渡してくれません。ようやくのことで獅子は刀をもらえ、大喜こびで口にくわえて踊り回ります。


  獅子を始めたものは(2)「花懸り」に始まり、(3)「三拍子」、(4)「棹懸り」、(1)「御宮参り・御幣懸り」、
  (5)「女獅子隠し」(6)「白刃」の獅子、「白刃」の太刀まで終わると摺り上がりといい、一人前と見なされます。
  (名栗観光協会のHPより、抜粋)


  いよいよ最終演目の 「白刃」の舞い、この獅子舞の中で最大の見せ場になるのだそうだ。
  三匹の獅子に加えて二人の太刀使いが加わり、真剣を使っての舞は迫力満点で、見ごたえがある。
  獅子頭についている黒い羽は、一羽の鳥が一生のうちに一本しか残せない羽で非常に高価なものだと
  紹介されていた。その羽を、真剣で舞いながら切り落とすのだそうだ。
  切り落とされた羽は、家内安全のお守りになるといわれ、祭りの後に配られるのだという。

  この舞は、絶対に見てみたいと思い、最後までとても楽しみに待っていた。
  社務所の前にスタンバイした獅子も、太刀使いも、緊張しているようだった。
  世話役の人たちのチェックも入念だ。嫌が応にも臨場感が盛り上がっていくのが分かって見ているこちらにも
  伝わってくる気がした。


 
 

  この最後の舞を舞う、雄獅子たちは、身長180センチ近いの若者たちだという。
  真剣を歯に加えて舞うため、獅子の舞い手は、歯の丈夫な者でなければできないのだそうだ。

  そして、真剣を使う太刀使いたちは、全ての舞を卒業したベテランたちなのだという。 
  背の高い獅子と一緒に舞う太刀使いは、とても大変なのだそうだ。


 
 
               スタンバイする獅子たち

 
 
  最後の演目の前に、村の長老たちを先頭に、笛方、ささら、獅子、と続く。

 
 
  刀を欲しがる、金色と黒の雄獅子を太刀使いは、見せびらかしてじらす。
 
 
 
 
 

        手ぬぐいを、剣に見立てて、獅子を騙しているところ。
       太刀使いの『ハイ!』 『ハイ!』という、掛け声に緊張感がみなぎる。

       獅子は、刀を欲しがり、刀をくれ、刀をくれとせがむ場面

 

        執拗に追いすがる獅子に、太刀使いはいよいよ刀を抜こうとする
         
 

      ついに、真剣が抜かれた。凄い迫力、見ている観客達はみんな引き込まれ身じろぎもせず
      固唾を飲んで見守っている。観客と舞い手とが一体となって、凄いエネルギーが生まれる。
      場内は水を打ったように静まる…

 

      真剣が振り下ろされる度に、獅子の頭の羽が飛ぶ…
 
 

       本当に、手に汗握るようだった。こんなお祭りは今まで見たことがなかった。
 

        こんな撮り方しかできなかったけれど、臨場感は伝わるかしら?
 
 
 
 
 

       この後、今までささらの中に隠れていた女獅子が、飛び出して、所狭しと境内を駆け巡り、
      ここぞとばかりに、全身全霊で舞い狂った。その舞もスピード、迫力共に素晴らしくて鳥肌がたった


 

       舞い終わって獅子頭を外した若者達、爽やかな青年たちだった。


 
   4、 千秋楽

    全ての演目が終了したのは18時30分を回っていた。夏の終わりの夕暮れは山際を包み始めていた。
    しばらくの休憩の後、千秋楽を知らせるアナウンスが入った。この千秋楽の後に臨時バスがでるという。
    地元の人が、『時間があったら、千秋楽を見て行きなさい。』と教えてくれた。
    「千秋楽って、すごいんですか?」と尋ねるわたしに、『そりゃぁ、あなた、千秋楽ですもの。これを見なくちゃぁネ』
    と、豪快に笑った。なんだかよく分からないけれど、まだ、獅子舞の余韻に浸っていたわたしは、地元の方たちと
    一緒にこの千秋楽を見物して帰る事にした。

    他所から来た見物客たちは、次々と車を走らせ、帰ってしまう人も多かった。わたしは神社の階段のそばに
    ぼんやり立っていた。虫の音がしきりに流れてきてあたりは夕闇に包まれ始め神社に裸電球の灯りが灯った。
    何となく人恋しさを感じ始めた頃、千秋楽の行事が始まった。


 
 

       夕闇が迫るり、人恋しさが募る頃…(別の日に撮影)

 
    諏訪神社を前にして、境内には、地元の長老といわれるような年配の方たちを先頭に、次には、年長の獅子舞の
    踊り手たち、若い踊り手、ささら、笛方、裏方の人たちと、獅子舞に関わった人々が順番に並び一堂に会した。
    そして、一番先頭の年配の方たちを中心に独特の節回しの謡が歌われたのだった。

    全員で歌う謡いは、ぴったりと息が合っていて、杉木立の中へと響き、心地よく心に澄み渡ってくる。
    宵闇と裸電球の柔らかな灯りとが相まって、胸の奥の郷愁を誘うのだった。
    謡を歌う人々の顔は、無事祭りを終えた安堵感と満足感に満ちた穏やかな表情に見えた。
    

    それは、オレンジ色の灯りに照らし出され、まるでミュージカルのカーテンコールを見ているようだった。
    わたしは感動で胸がいっぱいになり、また泣けてきてしまった…
    今日一日の出来事は、あまりにいろいろな事が起こって、ノンフィクションのドラマを見ているようだと思った。
    本当に長い一日だった気がする。


 

      オレンジ色の裸電球が灯った神社(別の日に撮影)

 
    父の思い出が導いてくれた獅子舞との出逢いだったのかも知れない。
    遠い昔の記憶が今、現実のものとなった。
    全てが変わりゆく時代の中で、変わらないものを脈々と守り抜いてきた人々がいる。
    そして、それを受け継いでいく人々がいる。日々研鑽して技を磨いていくのだ。
    この獅子舞はもはや素人芸ではなくて玄人の域に達していると思う。
    とにかくお年寄りが元気な村は素敵だ。いい意味での縦の社会が健在している場所だと思った。

    わたしは、すっかり獅子舞の魅力に取り付かれてしまった。
    ほぼ、年間を通して行われている各地の獅子舞のひとつひとつを訪ね歩き、この目で見届けてみたいと思った。
    でも、きっと、今日の感じたほどの感動は、もう貰えないような気がした。それほど印象深かったのだ。

    多くの人に、この素晴らしい獅子舞を見て欲しいと思う反面、あまりメジャーになって欲しくないとも思う。
    もし、多くの人が詰めかけ、境内が人で溢れるようになってしまったとしたら、あの、何ともいえない
    村祭りの雰囲気が壊されてしまいそうな気がするから


 
 

            諏訪神社(別の日に撮影)

    臨時バスに揺られながら、真っ暗な晩夏の夜を見つめていた。
    細く開けた窓から、涼やかな夜風が、わたしの頬を撫でていく。夏の終わりの匂いがする…

    もしかしたら、わたしは、遠い過去の記憶の中へと旅をしたのではないかと思い始めていた。
    あの獅子舞は、本当は現実のものではなかったのじゃないかしら?…
    とても長い夢を見ていたような気がする…

    獅子舞に出逢うのが、なぜ、今だったのだろう。もっと前でもなく、後でもなく、今、この時だったことが
    不思議でたまらなかった。
    このまま一生出逢うことがなかったかも知れないのに…そう思うと、ここに導いてくれた見えない絆に
    感謝したい気持ちでいっぱいになった。

    来年も、また、来よう。父母の思い出に出逢うためにも…夏の終わりの風と一緒に。

                夏の終わり        森山直太朗

            夏の終わり 夏の終わりには ただ貴方に逢いたくなるの
            いつかと同じ風が 吹き抜けるから

            追憶は人の心の傷口に深く染み入り
            霞立つ野辺に 夏草は茂り
            あれからどれほどの時が 徒然に過ぎただろうか
            せせらぎのように

            誰かが言いかけた言葉 寄せ集めても
            誰もが忘れゆく夏の日は帰らない

            夏の祈り 夏の祈りは 妙なる蛍の調べ
            風が揺らした風鈴の響き…



 
 

          ボケボケだけれど、好きな写真です。

 
       最後になりましたが、下名栗諏訪神社の獅子舞保存会の皆様、感動をありがとうございました。
       どうか、 末永く、この獅子舞の歴史を語り継いでいってください。

                                               2006.8.27 by sizuk
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