犬麦谷ののミズナラ1

幹周  4.77m      樹高  24m       標高  900m
                 


 日原鍾乳洞の前を流れる小川谷を、そこから林道伝いに4kmほど遡ると、犬麦谷と呼ばれる支流に出逢う。その犬麦谷には終戦後まで5〜6軒の家があって、住人は炭焼きやワサビ作り、箸作りなどをして生計を立てていたそうである。現在そこを訪れると、植林された杉の森に姿を変えていて、かつて住人が暮らした形跡もないように見えるが、よくよく見ると炭焼きの窯跡や厠の跡が杉の人工林の中にひっそりと残っている。

 ところでこの犬麦谷の「犬麦」とは、本来アメリカ大陸原産の帰化植物で、明治時代に渡来したものである。日本の植物の名前の付け方の一つに、有用でないものに対して「犬」を冠にすることがあるが、この犬麦も例に漏れずに麦には似ているけれども役に立たない、という意味の和名になる。しかし、この明治時代に渡来した犬麦が、この場所に多かったのがこの地の名前の由来だそうだが、いかなる手段でこの日原の奥地に生育を始めたのだろうか。

 このミズナラは犬麦谷の小高い斜面にあり、そこで暮らした人々の営みをずっと見守り続けてきたことだろう。そして犬麦がこの地に繁殖していった経緯を、つぶさに見届けていたに違いない。古木然としたその姿は、その殆どが緑の苔に包まれ、上部の枝にはびっしりとシダ植物の仲間のシノブが密生している。長年犬麦谷から立ち昇る湿気に晒されて、着生植物にとっては好環境の存在だったのではないだろうか。

 人は、動くことで自らの置かれた環境を変えることができる。犬麦谷で暮らした人々も、時代の波を乗り切るために、この地を去る決断をしたことであろう。しかし、森の木にその自由はない。このミズナラのように、芽吹いた場所が生を終える場所でもあり、苔やシダのようなしがらみから逃れることは出来ないのだ。全て目の前で起きる現実を、受け止める以外の選択はないのだが、だからと言って人より不幸か・・・というとけしてそうは見えない。木には木の持つ価値観があり、人はその一端に触れることで「生きること」の意味を教わるような気がする。













         撮影日

           上  2009年 7月05日

           右  2009年 7月05日

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