東京最後の聖域「にっぱら」
 巨樹・巨木
 森の神の慰霊碑
 
孫惣谷のシオジ1

幹周  5.50m      樹高  15m       標高  940m

2007年9月倒伏
 

 
  このシオジの巨樹も、2000年における全国巨樹・巨木林調査の時に確認されたものだが、その7年後の台風による谷の増水で、それこそ根こそぎに倒伏することになってしまった。普段は僅かな水量の孫惣谷も、大雨に見舞われると周辺の山々からの水を集め、それなりに谷らしい景観となる。このシオジも流れの脇にあるために、かつて何度も水流に身を晒されてきたことだろう。それでも力強く、ここまで大きく育った貴重なシオジではあったが、樹勢の衰えからであろうか、もはやその年の水流には太刀打ち出来なかったようである。

 このシオジは、ある意味で奥多摩町の巨樹の象徴であった。というのも、全国巨樹・巨木林調査において、奥多摩町は全国一の巨樹・巨木を有する自治体として多くの新聞に載ることとなり、その際に使用された写真がこのシオジだった。そして、そこには全国一位のシオジを始め、891本の巨樹が発見された・・・・との説明があった。まさに、このシオジが最大の目玉のように掲載されてしまったのである。

 しかし、これは明らかに間違っている。まず、新聞には幹周が6.10mとなっていたが、調査票では5.50mしかないのだ。この6.10mとは、「孫惣谷のシオジ 2」のことで、それも3本の株立ちの合計の値でしかない。私はこの巨樹の発見者ではなく、まして新聞発表にも携わっていないため、何故このような入れ替わりが起きたのか理解出来ないが、このシオジが全国一位ではなかったことは確かである。

 ただ、そのような人間の尺度に頼らなくても、このシオジは十分に個性的な巨樹であった。主幹を失ってはいたが、周りの枝が舞い踊るように天に伸び、シオジにしてはかなりの異形で、谷の中ほどに立つその姿は孫惣谷の主とも言えるような存在だった。私は、このシオジの倒伏を人づてに聞いたが、その後一度もその地を訪れていない。倒れた巨樹をあえて見に行くことは、個人的には気が進まないのである。

                 2011年11月26日  一葉
  
 
  撮影日

 上  2000年12月26日

 下  2000年12月26日



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