東京最後の聖域「にっぱら」 |
巨樹・巨木 |
森の神の慰霊碑 |
熊宿のトチノキ 幹周 6.00m 樹高 28m 標高 900m 2009年8月30日倒伏確認 |
2000年3月7日。その突然の出会いに私はときめいた。 かねてより目を付けていたエリアに入り込み、幹周3.6mのブナの巨木を見つけた後、さらに左前方から発するとてつもない気配に目を向けた。「あっ!」という驚きの声の後に言葉を失った。それは日原の巨樹の中で、今まで見たことも無いほど太い円柱形の幹を持つトチノキだった。「熊宿のトチノキ」は、この時から東京最大のトチノキとして、知る人ぞ知る日原の名木の一つとなったのである。(現在は、あきる野市の養沢神社のトチノキが東京最大の6.34m) |
(写真右・左 2000年3月7日 熊宿のトチノキ発見) |
この熊宿のトチノキのある場所は、私の仲間内では「熊宿の森」と呼んでいる。そして、その名の通りにこのトチノキが森のシンボルであった。一般にも良く知られている名栗沢のトチノキや鍛冶小屋窪のトチノキは、日原林道からも眺められるアクセスも簡単なトチノキの巨樹だが、熊宿のトチノキはその所在を公表しなかったこともあって、訪れた人の数はこの十年の間に50人もいないのではないだろうか。そしてその人々は、このトチノキが生きていたことを知る数少ない証人となってしまった。 この熊宿の森の所在を、一般に公表していないのには訳がある。この森には3本のトチノキの巨樹があり、その2本はとても健康とは言い難い傷みを抱えていた。一本はこの熊宿のトチノキで、もう一本は蝋燭のトチノキである。なかでも蝋燭のトチノキは瀕死の状態で、毎年この巨樹の生存を確認することが私の使命のように感じていたほどである。つまり多くの人に知られることで、これらの巨樹のダメージがこれ以上大きくなるのを恐れてのことだった。 2009年8月2日。私は9ヶ月振りにこの森を訪れた。もちろん気になるのは蝋燭のトチノキの安否である。雨が降り続く森の中で、蝋燭のトチノキは残されたか細い枝に、トチノキ特有の大きな葉を拡げていた。「よかった・・。今年も大丈夫だ。」と安堵して、次に20mほど離れた所にある熊宿のトチノキに向かった。「立派な幹だなあ~。」と、今回も感心しながら近づいて梢を見上げる。「あれっ!葉っぱが無い・・・・。」なにか悪い夢でも見ているような気持ちで、枝のどこかに葉っぱがあるのではと探してみるが、一枚も見つけることはできなかった。 |
(写真右・左 2009年8月2日 異変に気付く) |
この日、私には二人の同行者がいた。今年に入って山行を共にする機会の多い、友人のsizukuさんとヒデさんで、二人にとっては熊宿の森は始めての訪問であった。そして私がここで、一番見て貰いたかったのも熊宿のトチノキだったのである。最初にその異変に気付いた私は、お二人に苦汁の結論を告げなければならなかった。「残念ながら・・・死んでいますね・・。」そう言いながらも私は、もしかしたら違う角度から見たら葉っぱがあるかもしれないと思いながら、場所を移動して梢を見上げたが事態が好転することはなかった。 この突然のトチノキの異変に、私はほとんど写真を撮ることが出来なかった。蝋燭のトチノキが枯死することはあっても、まさかこの熊宿のトチノキが私の生きているうちに枯れてしまうとは、全く想像にも及ばなかったからである。「悲しみ」というよりも、その信じられない現実に直面して放心した、というのが本当のところであろうか。降り続く雨は、葉を失った幹や枝を容赦なく濡らし、今まで見たこの巨樹の印象よりもどことなく重々しく感じられた。九ヶ月前に訪れた時に、この異変を示すサインをトチノキが出していたかもしれないと思うと、なにかやり切れない想いが募った。 この時の様子を、後日sizukuさんはこう話してくださった。 「トチノキの真下に立って梢を見上げたとき、空から落ちてくる雨粒とは別に、空っぽの梢から大粒の雨粒が絶え間なく落ちてきました。その時、『あっ、トチノキが泣いている』と、思いました。そう思ったら胸がいっぱいになってしまいました。」 自分で見つけた巨樹はどれもかわいいものである。なかでもこの巨樹は、発見以来、季節を変えて一年に数回訪れていた想い入れの強い巨樹であった。何百年と生き抜いたその最後の十年間、私は最もこのトチノキに遊んで貰った子供のようなものである。もしかしたら、その生涯で最も多く会いに来た人間だったのかもしれない。 最初にこの巨樹を見つけた時に、その樹種を見分ける知識さえなかった。そんな私が、曲がりなりにも巨樹・巨木の同定ができるようになったのも、この巨樹との出会いがあったからだと思う。葉の無い時期に見つけたこともあって、最初はケヤキではないかと思っていた。やがて、木は枝先の細かさと葉の大きさが比例することを知り、やっとこの木がトチノキだと分かった経緯があった。十年の月日をかけて、熊宿のトチノキが私に与え教えててくれたものは計り知れない。 私は去り際に、幹に触れながらこう言って別れを告げた。 「よくがんばったね。今日までよくがんばった。」 その言葉が聞こえていたのかもしれない、と思えることが後日起きようとは、その時は全く気付もしなかなかった。 |
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(写真右・左 2009年8月30日 そこには変わり果てた姿があった) |
2009年8月30日。この日も前回と同じ3人のメンバーで、再び熊宿の森へと向かうことにした。今回は気持ちを新たに、熊宿のトチノキの逞しい立ち姿をかっこよく撮ってあげようと心に決めていた。いつものように森へ入り、お馴染みのブナの巨木と出合う。そして左に目を向けると、そこにあるべきものの姿が見えない。そして代わりにそこにあったのは、見慣れぬ尖った木の塊であった。先を歩いていたsizukuさんも気付いたようで、戸惑いの声が聞こえてくる。何が起きたのかを理解するのに、時間は掛からなかった。 このあまりに壮絶な熊宿のトチノキの倒伏を目の当たりにして、私は内心かなり動揺してしまった。いくら枯れてしまったとはいえ、少なくとも数年間は倒れないと勝手に思い込んでいたからである。私はこの惨状を撮影するのをためらった。もしこの時、sizukuさんやヒデさんが「撮ってあげて下さい。」と後押ししてくれなかったら、一枚もシャッターを切ることはなかったかもしれない。私は意を決して撮影を始めた。それは逞しい立ち姿ではなかったが、熊宿のトチノキが見せてくれた最後の美学のような気がした。僅かな幹だけを残し、ほぼ根元から前のめりに倒れた場所は、以前に失った大きな主幹が横たわるすぐ隣だった。死して再び熊宿のトキノキは、主幹を取り戻したのかもしれない。 |
(写真右・左 2009年8月30日 壮絶な倒伏) |
その後、しばらくは夢中になって撮影を続け、ある程度撮り終えた頃には体の力が抜けてしまった。そして、改めて熊宿のトチノキの姿を見つめていると、私はある想いに囚われていた。 「この前に訪れた時、まだかすかに生きていたのかもしれない・・・。」 あの日私は、数百年も生き抜いたトチノキに「よくがんばったね。」と労いの声を掛けた。それは、毎年日原で落ちるであろう膨大なトチの実から、限りなく少ない確率で巨樹になったトチノキの中の、さらにその頂点に君臨した熊宿のトチノキに対する敬意の表れだった。 私にとって、この熊宿のトチノキとの濃密な十年間は、もしかしたら私だけのものではなく、トチノキにとっても同じだったのではないか。九ヶ月ぶりに訪れた私を、最後の力を振り絞ってただひたすら待っていてくれたのではないか。そして、その樹皮に触れながら労いの声を掛けた私が去った後、思い残すことなく力尽きてしまったのではないか。そんな想いが次々と駆け巡った。 私は木に感情がある、と思っている。動物などと同じように、可愛がってくれた人や何度も合いに来てくれた人への親愛の情を、行動にこそだせないけれど持ち合わせていると信じている。熊宿のトチノキにとって、きっと私は最後の友人だったのであろう。 「あいつにもう一度会いたいなあ・・」 瀕死の体でそう考えてくれていたのかもしれないと思うと、胸が痛くなった。倒れた巨体を見つめながら、もっとたくさんの写真を撮ってあげればよかった、という後悔だけが込み上げる。もう二度と見ることの無い逞しい雄姿を、私は静かに思い返していた。 2009年9月10日 一葉 |
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