東京最後の聖域 「にっぱら」 
  
イヌブナの悲劇




 イヌガシ、イヌガヤ、イヌグス、イヌザクラ、イヌマキ、そしてイヌブナ。他にも「イヌ」と頭につく木はたくさんあるが、これは本家?のカシやカヤ、クスなどに比べて、材として劣るという意味で名付けられた蔑称というべきものだ。犬にも迷惑な話だが、木にとっては全く不本意な名前を人間の都合でつけられてしまったものである。

 ところで、ブナを漢字で書くと「橅」になる。木に水分が多く、材としては使い物にならないとして「木では無い」という非情の名前をつけられた木である。しかし、イヌブナはさらに悲惨な名前を頂戴した。「木では無い」ブナよりさらに劣るということで、「イヌ」の烙印を押されてしまったのである。人に例えるなら、馬鹿者の上に「大」がついたようなものだろうか。イヌブナに耳があるなら、間違いなく人間嫌いになっているだろう。


 
犬麦谷のイヌブナ


  今でこそ犬は「家族の一員」というまでに地位を上げた感があるが、徳川綱吉の生類憐みの令の時期を除けば、昔は「犬畜生」と呼ばれる存在だった。畜生とは、仏教において人間以外の生物のことをいうが、次第に動物のような生き方をする人に対する呼称となり、さらに転じて「こん畜生」のように他人を罵倒したり、自分の失敗を悔やんだりする言葉と変化していった。

 つまり、畜生とは人ではないものに対しての侮蔑を意味し、本家の木によく似ていながら材として通用しない木のことを、「犬」に例えたものが前述の木々ということになるのだ。これでも充分屈辱的な扱いをされている木々の中で、さらに「木では無い」とまで言われるイヌブナの境遇には同情を禁じ得ない。


 
双頭のイヌブナ



小川谷林道脇のイヌブナ


 皮肉なものだが、数ある広葉樹の中でブナ林の新緑の美しさは際立って美しいものだ。そして、その点ではイヌブナも全く引けを取らない。秋田と青森に跨る白神山地は、1993年に日本で最初に世界遺産に登録されるほどに注目され、書店に行けばブナの写真集が何種類も書棚に並ぶ。今やブナは風景写真の被写体としても大人気である。

 さらには昨今の自然環境の悪化から森林保護が叫ばれ、ブナ類が気の遠くなるような年月をかけて作り上げた地層が自然のダムとしての機能を持つことが認証されると、人は手のひらを返したようにブナ類を礼賛し始めた。時代と共に、価値観がすっかり変わってしまったのである。


 
 
滝入りのイヌブナ



ヨコスズ尾根作業道脇のイヌブナ



イヌブナの花


 この180度転換したような人の態度を、イヌブナと名付けられた木は一体どう見ているのだろうか。散々馬鹿にされた挙句、木の仲間にさえ入れて貰えなかったのである。もしも私がイヌブナの気持ちを代弁できるとしたら、きっとこう言ってそっぽを向くだろう。

「お前らいい加減にしろ! このイヌ人ども!!」と・・・。





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