東京最後の聖域 「にっぱら」 
 
合体木の絆




  巨樹の中にあって、「二本で一本」という特異な存在がある。別々な場所から芽生えた二本の木が、成長するにつれ幹を接しせめぎ合い、いつしか一本の木であるかの如く幹を太らせてゆく。このようなものを「合体木」、「合体樹」と呼ぶ。同種の組み合わせもあれば、異種同士のそれも珍しくない。

 奥多摩町で最大の合体木は幹周6.69mで、ブナとケヤキが一つになった「スミクボの合体樹」だ。
籠岩下から金岱山のミズナラへと続くの登山道の途中にあり、荒々しい岩場に根付いたど根性の木でもある。苔むした樹皮を持つ外観からは、余程注意をして見ない限りそれが合体樹であるとは気付かない。

 しかし、まるで一本の巨樹のような姿になるまでに、この二本の木はどれほどの歳月を要したことだろう。さらにその過程で起きる二種類の木のつばぜり合いは、いかばかりであったことだろう。そこには木の持つ宿命を運命と受け入れて生きた二本の木の物語が見え隠れする。




スミクボの合体樹(上・下)




 
  一本の木が成長していく過程で、隣にある木が接触するということはけして快いものではないだろう。まして、それが枝ではなく幹であれば尚更であり、お互いの拒否反応は想像に難くない。芽生えた場所がすぐそばであったというだけで、好きも嫌いもなく一生を共にしなければならないのである。それも体を密着させたままで。

 しかし木は動けない。この受け入れ難い現実の中で、二本の木は葛藤しながらもお互いを受け入れる道を選択する。時に相手を罵りながら、また時に相手を励ましながら、岩の上という厳しい環境を生き抜くために、二本の木は長い歳月をかけていつしかお互いの存在がなくてはならないものに変化していることに気付くのである。それは紛れも無く一本の巨樹としての姿であった。

 スミクボの合体樹を見ていると、こんな人間臭い物語を想像させてくれる。心ならずも望まない結婚を生まれながらに強いられたようなものである。人であれば「さよなら・・」という選択もあっただろう。しかし、合体木は一生の付き合いを宿命付けられながらも、歳月と共に絆を強くしていく夫婦のようなものかもしれない。

 ところで下衆な勘繰りとでも言おうか・・。もしも合体木の一方が命尽きる時、果たしてもう一方の木は運命を共にするのだろうか。それとも・・・




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