東京最後の聖域 「にっぱら」 
 
小人になれる森



  アイヌの伝説「コロポックル」や「白雪姫と七人の小人達」。洋の東西を問わず,小人は森の中で暮らしていると思われているようだ。森の持つ神秘性や得体の知れない奥深さは、そこに人知を超えた何らかの存在があったとしても不思議とは思えない空気に満ちている。森とは、確かにそんな雰囲気を醸し出す「異界」である。

 ところで、小人はあくまで伝説上の話かというと実はそうでもない。我々「大人」にも、なんと「小人」になれるチャンスがあるのだ。私がそれに気付いたのは、ある日森の中で撮影した一枚の写真がきっかけだった。そこには確かに赤い服を着た小人らしきものが写っていたのである。

 私は日原の山中で未発見・未調査の巨樹を見つけると、一緒に記念撮影をすることにしている。通常、私は一人で山に入ることが多く、巨樹との記念撮影となると三脚にカメラを据えて、セルフタイマーを使用しての撮影となる。シャッターのスイッチを入れたのと同時に斜面を駆け抜け、巨樹に辿りつき、カメラに向かってポーズ?をとることになる。

 つまり、仕上がりの写真のイメージが、現場では全く想像がつかないのだ。フィルムカメラを使ってることもあり、現像されたポジを見て、初めて巨樹と自分の只ならぬ関係を確認することになる。それは、「ヌタ場のカツラ」とのツーショット写真を家内に見せている時のことだった。


 
ヌタ場のカツラと小人?


 彼女は笑いながら、「小人だよ、小人」と言い放った。身長185cm強の大柄の私に向かって、148cmの彼女が「小人」と言ったのである。それは、不思議な感覚だった。巨樹のスケールを知る比較のためのその写真が、実は逆に私自身の小ささをも写し撮っていた。ここでいう「小ささ」とは、残念ながら人間的に・・・などという謙虚な気持ちではない。あくまでも、その写真に小人が写っていると言っても何ら違和感のない、まさに大人が小人になった記念写真でもあったのだ。

 
 
ハンギョウ尾根のブナ



欠伸のカツラ



天狗のカツラ


 巨樹・巨木の多い森を歩いていて、そこで人の姿を見かけた時のある種の違和感は、周りの木々に比べて人があまりに小さいことにある。通常、小人という言葉は人を基準として見たものだが、これを巨樹・巨木を基準に見ると我々大人も立派な小人になってしまうのだ。つまり、森の中では人そのものが小人であると言っても過言ではない。


 
俊二さんのカツラ



長沢谷上のミズナラ


 都会の高層ビルから下を見下ろすと、人も車も呆れるほど小さいものだ。それもまた一つの異界であり、私自身そんな光景を愉快に思う一人でもある。ただ、「不自然」という言葉があるように、それは小人の世界には馴染まないような気がする。

 そこへいくと都会であれ山であれ、大きな木に人が寄り添う姿は「自然」そのものではないだろうか。まして、巨木が群れなす森の中を人が歩いている姿を見かけたとすれば、きっとあなたもこう言いたくなるだろう。
「小人だよ、小人」って。

 
 

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