東京最後の聖域 「にっぱら」 

東京で最も遅い花見



 
 三月に入るとテレビや新聞に「桜前線」なる見出しが賑わいを見せる。この場合の桜とは、通常ソメイヨシノという品種で、恐らく全国で最も人々の目に触れやすい身近な桜だろう。平成十七年、この年は全国的に桜の開花が遅く、東京都心のソメイヨシノの満開も四月七日ぐらいではなかっただろうか。そして人々は、桜の花が散ってしまうとあの喧騒が夢物語でもあったかのように、記憶の隅に桜を置き去りにしてしまう。当然、「桜前線」は北へ北へと移動することになる。

 ところがそのソメイヨシノの満開から一ヶ月ほど遅れて、満開の桜をもう一度東京で見ることができる場所がある。その桜は、日本列島が形成されて山々に緑の木々が覆いつくされた遙か遠い昔から、今も変わらずに春になると可憐な花を咲かせ続けている桜の原種、「山桜」である。そして、その山桜が群生する希少な森が、奥多摩町日原の山奥に存在する。
通称、「さくら尾根」
その標高1100m付近に山桜は20本以上が密集し、尾根全体では60本以上が確認されている。


 
 
枝葉越しの桜尾根



桜尾根内部 1


  山桜といっても一種類の桜の名称ではなく、日本の山々に自生する桜の総称を指しているのだが、ここ「さくら尾根」ではカスミザクラ、ヤマザクラ、オオヤマザクラの三種類で構成されているようだ。標高が同じであれば、樹種によって開花時期が多少ずれるものだが、最初に開花を迎えるオオヤマザクラは別として、この年はカスミザクラとヤマザクラが同時に満開を迎えるという見る者にとっては当たり年であった。

 花見とは、世間一般ではお目当ての桜を身近に親しむものだが、山中の桜となると少し勝手が違ってくる。山々の木々は常に生存競争に晒されていて、限られた光を求めながら樹上でびっしりと枝葉をひしめき合わせている。桜も例外ではなく、地面から約20mほども上の場所でしか花を咲かせることが出来ない。つまり、桜の下にいても花見の気分にはなれないのだ。



 
桜尾根内部 2



桜尾根内部 3


  では、山中での花見は無理かといえば実はそうでもない。その桜の咲いている山腹を望む、対岸の山に行けばいいのである。これなら新緑の中に浮かび上がる、神聖なほどに美しい山桜を愛でることができる。桜を身近に感じられなくても、これが「山流」の花見の醍醐味であろう。とはいえこの花見は、対岸の山から桜のある尾根を遠望できる場所を探さなければいけない。しかし、実はこれがなかなか厄介な作業なのだ。

 対岸の山といっても当然木々は生い茂り、斜面のキツイ山腹はとても縦横に歩けるものではない。そこで枝葉の邪魔がなく桜尾根を望め、しっかりと足場が確保出来る場所を見つけるには、それなりの時間と経験が必要となるのは言うまでもない。幸いにも私は、巨樹探しでその対岸の山を何年も掛けて歩き回っていた。それでもあれこれ探し回った末に、ようやく倒木の影響でポッカリと空いた枝葉の隙間を見つけ、そこから待望の桜尾根を望むことが出来たのだ。



桜尾根遠望



別地点からの遠望 1



別地点からの遠望 2


 
 この年の五月七日、私はたった一人でこのさくら尾根の対岸から、満開の山桜群を堪能し撮影に没頭した。足場が悪いということもあるが、まだ未だに誰にもこの場所を案内していない秘所でもある。自分だけしか知らない感動は、当然他の誰かと共有したいという衝動には駆られるが、このさくら尾根だけはその気になれない。私はこの尾根が荒らされることを恐れる。春の妖精が群れなす神聖な場所が汚されることを何よりも恐れる。私個人のちっぽけな顕示欲で、この素晴らしい自然が失われることがあってはならないと肝に銘じている。



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